ストリームと読書論

こんにちは、枯淡苑(本担当)です。


今年初めから開始したデジタルガーデン(過去ブログ:「枯淡苑のデジタルガーデン」をはじめます)は、あれから少しずつ思い出したように書き足して種を増やし、一部は芽吹かせています。

本稿では、デジタルガーデンの状況報告と、新たなトピック「ストリーム」「読書論」についてゆるく書いていきます。

後者の2つは元々つながりがなかった話ですが、徐々に接点が見えてきたような気がしたのでメモがてら書き置こうと思いました。

デジタルガーデンその後

あれから週1、2回のペースでトピックを足したり、既存ページに更新をかけています。
前後比較ないですが、グラフで見るとお庭の敷地が少しは広がったでしょうか。


記事を公開後、直接感想をいただくことが何度かあって大変嬉しかったのですが、「実際どうやるのか?」という質問もいただきました。

この場を借りて、軽く説明とおすすめサービスを紹介します。

枯淡苑のデジタルガーデンは、「カチャカチャカチャ......ッターン!」を繰り返すなどやや専門的なやり方で作っています。割と悪戦苦闘しました。(参考:デジタルガーデン公開までに参考にした資料 — 枯淡苑のデジタルガーデン

もう少し楽なやり方は「How to set up your own digital garden - Ness Labs」という記事(英語)で、ノーコードでデジタルガーデンを構築できるツールが紹介されています。

無料でできるものとしては、Notionが最もとっつきやすいかもしれません。基本は公開設定にしておくだけです。ページやデータベースの(ほぼ)無制限作成、リンクの相互表示もあります。

あとはSaneという新しめのデジタルガーデン専用サービスもあります。まだベータ版のようですが、登録すれば無料で使用可能です。見た目がスタイリッシュで上に貼ったグラフのような見せ方ができます。("The Infopunk's Digital Garden"という字面が格好良いです)

実はNotionもSaneも、枯淡苑のデジタルガーデンを作る際に事前に試していました。実用は全く問題なかったのですが、どちらも企業が運営する一定の規格を持つプラットフォームのため、①見た目を自由に変更できない、②いつサービスが終わるかわからないことを理由に今回は利用を見送りました。

しかし、細かな作業を飛ばして中身に集中したい方には、これら2つのツールは操作が簡単なのでぜひおすすめしたいです。
(実例は見たことないですが、Trelloでも工夫すればできそうな気もします)

試してみて「よくわからない」というものが出てきたら info@cotan-en.com までご連絡ください。ご相談承ります。

"枯淡苑のデジタルガーデンその後"に話を戻すと、庭の敷地に新たに蒔かれている種が①ストリームと②読書論です。

前者はデジタルガーデン文脈から湧いた好奇心、後者は以前から頭にあった「本屋として"読むこと"をどう考え、伝えていくか?」の問いから発したものです。

ストリーム(Stream)

デジタルガーデンを調べていくにあたり、「ストリーム」という概念に出会いました。

ぱっと見ではストリーミング配信・Ustream・FFⅦあたりが思い浮かびますが、日本語では「流れ」を意味します。
界隈では、ブログやSNSで見かけるタイムライン、フィードなどを指すみたいです。

TwitterやInstagramのホーム画面がイメージしやすいかもしれません。
誰かの投稿が流れるように上から追加されています。並び順は時系列(新しいものが最も上に来る)、もしくはアルゴリズムによって選ばれています。

フレッシュで、ユーザーの関心・属性と関連度が高い情報が、川や滝のように流れてくるわけです。

多くのサイト・アプリの見せ方において「上から下に他人の投稿が並び過ぎ去る1列の流れ」というかたちを取っています。


一方でデジタルガーデンでは、時系列やアルゴリズムより「地形学的、空間的な考え方」を優先します。

画面上に映し出される情報は、あくまで文脈による横断的なつながりを重視し、それは運営者の手動編集によって構築されます。

タグだったり、カスタマイズされた検索バーだったり、yahooディレクトリっぽい整理など個人によって見せ方は様々ですが、構造としては縦横無尽に広がるネットワークのようなものです。

この辺りは本棚の編集にも似た点があって、棚に差してある本の左右に一定の文脈で関連した本を並べる、いわゆる「文脈棚」の考えに近いです。

デジタルの場合は1冊に対する関連本(情報)を無限に紐づける・表示することができます。
もちろん、書店で並んだ棚では、テーマ的に遠い本も一覧化される(ちょっと視線を動かせば、近からず遠からずで関連したテーマの本に出会える)ので、デジタルとはまた違った体験になります。

書店の場合、本は売れれば店の売り場から消えたり補充され移動したりするので、1冊の本に対して半永久的に関連本が同じ位置に居続けることはほとんどありません。(なので本屋での本との出会いは一期一会なのです)
本と本の関係性を、このようにデジタルと対比して考えていくのも面白いですね。

脱線しました。
もう少しデジタルガーデンとの違いを対比させるために、ストリームの特徴を見ていこうと思います。

ストリームではインターネットは「思考のための道具」ではなく、「誰がしかの議論や主張、表現、プレゼン」を届ける場として機能するようになります。他人の声をたくさん聞き、話す場になるということです。(この考えはこちらの記事から得ました。The Garden and the Stream: A Technopastoral | Hapgood さまざまな視点からストリームとどうバランスを取るかが長考されています)

近頃、「SNSのタイムラインに投稿される内容から得る刺激が強すぎたので、フォローを0にする」「もともとSNSは居心地悪かったからTwitter騒ぎを機にSNSを止める」などの動きが、私の身の回りでも見られるようになってきました。

以前からもよくある事象でしたが、このSNS疲れの要因をストリーム的に考えれば「多くの他人の声を、その人の許容量を超えて大量かつ頻繁に浴びてしまった」ことがあるかもしれません。

余談ですが、タイムラインやネットの人間関係をデフォルトで備わった機能(リスト、ミュート、ブロック、キーワードフィルタなど)を使って技術的に整備することはできますが、SNSがある限りこの整備コストは払い続ける必要があります。最近注目されるFediverseやNostrでも例外ではないと思います。


もうひとつには、最新の「声」は時が経つにつれ埋もれていくという特徴があります。
新しい投稿、コメントなどが最上位にくるため、それらが重なることで、自らが発した考え・意見は圧縮され有象無象化、最悪は忘却の彼方に消えてしまいます。

特にSNSではこの現象が大量かつ高速に発生します。ここ最近のTwitter運営の例でもあらためて直面していますが、企業が運営する無料UGCサイト(Instagram、NOTEなど)でも自分の発信/保存した内容や、人々とのやりとり/つながりがどうなるかわかりません。

Snapchat、Instagramに取り入れられた「ストーリー」は一つ一つのコンテンツを否応なしに直面せざるを得ないのですが、短時間で消失するという刹那的な挙動を(良かれ悪かれ)利用しているストリームの一種とも捉えられそうです。

他にも、ストリームは情報を最新順に並べることでユーザーの興味を引きつけ続け、サービスをスロットマシン化させるのにも一役買っている......といった枝葉の話もしたいところですが割愛します。

このストリームという概念を気にしている理由として、「イーロン・マスク配下のTwitter運営」が尾を引いているのがあるのだと思います。

Twitterの代替・移住先について新たなサービスが槍玉に挙がり、このまま定住するかどうかの議論も出ますが、個人的には「なぜそこまで必要とするのだろうか?」というのがあまり理解できていない......特に事業者(サービサーや広告主)と消費者それぞれの利用ニーズについて整理がついていないせいかもしれません。

今後は、ストリームが与えてきた情報活用や判断に対する影響、付き合い方についてじっくりと考えていきたいと思っています。

Garden and Stream(庭とタイムライン/フィード) — 枯淡苑のデジタルガーデン

読書論

読書論のトピックでは、今現在先人たちの知識を復習、吸収するために関連本をリストアップし記録しています。本当は短い感想をつけていきたいのですが、今は乱読モードで読み漁っています。
読書論の本 - 枯淡苑のデジタルガーデン

こういった類の話は本屋を名乗っている割に苦手なところがあって、昨年末ごろからちゃんと向き合わねばとあらためて見返して、案外楽しく読み進めています。

ざっと読み回していると、いわゆる本読みと呼ばれる人たちの中でも多種多様な意見があって、本の選び方、深い読み方はもちろんのこと、どんな時でも読む、とにかく早く読む、1冊を読み切る、感想を言語化するなど、細かな分岐ひとつひとつに哲学・テクニックが凝縮されているのが面白いです。

反対に、本を開いてすらいなくて良い、むしろその前から「読み」は始まっている、さらには本は積読してこそだ、いやそもそも本を読むことに大きな価値を求めたり作ったりするな、などなど読書の世界の懐の深さを体感中です。
(私個人として、読み方については松岡正剛氏の考えや語りがしっくりきていることに気づけました)

いろんな考えに触れながら、時間、気力、金銭など(スマホ依存に限らず)さまざまな理由で読書に取り組めない人、これからもっと本を読んでいきたい人にも、気軽に読書体験に入り込んでもらえる空気作りができないかと考えています。

ちなみに、デジタルデバイスを使って「読む」行為は2021年では1日176分を超え(令和4年版情報通信白書、第8節「デジタル活用の動向」p.4) 一層可処分時間の多くを占めています。もちろん「物理的な本を読む」と「ストリームを読む」とは異なる読み方になりますし、物理本を半ば再現する電子書籍もまた違った体験になっています。

しかしながら限られた人生と時間の中で、自発的に何を選び取って摂取するかという選択基準・判断基準やそこから得られるものは、デジタル・アナログの二項対立や、メディアの違いを細かく見ても大した差はないのでは、というのが今ある仮説です。

つまり、コンテンツ/テキスト/情報/物語など、書かれている中身をどう選び、いつ、どこで、どのように読むかで広い意味での読書体験や生活そのものが向上するのでは.......言い換えれば、種類問わず様々な「読み方」を理解していくことで、本やWebをひっくるめて付き合い方を変えられるかもしれないと、直観でしかないですがぼんやりとメモを連ねている最中です。

さすがに稀覯本まで行くと話は変わりそうですのでスコープから外すとしても、物質や工芸としての本の経済的・情緒的価値は織り込んで考える必要はあると思っています。

読書の幅と可能性に関する先人たちの知見から、現時点の枯淡苑としては読書論という角度から「読まぬ者は物を知らない、故に語ってはいけない」のような読書行為の神格化・権威化をしすぎず、価値観、ライフスタイル、媒体、どんなものにおいても「自分に合った読み方」というの探し当てる、ないしは作り上げるヒントを提案できることができたら理想だなと考えています。

このトピックは出版業界でも数多く取り組みがされていたはずですが、まだまだ無知でじっくり掘り下げていきたいので、もし私見を持つ方いらっしゃいましたらお気軽にお声がけください。 (mail: info@cotan-en.com)

厳しい冬も、もうそろそろ終わりそうですね。
徐々に日が長くなってきて、寒さも和らいできそうですし、春が待ち遠しい限りです。